52.日曜日 澪の家へ

氷川の観察メモ

日曜日の朝。

急に九条から電話がかかってきたと思えば、15分以内に外出するから車をまわせという連絡。

驚かない。

俺には何曜日だろうと休日という概念が無い。

まだオフの間はタスク管理が少ない方だ。

レジデンスの地下駐車場に車を移動させ、到着の連絡をし、待機。

すぐに2人が降りてきた。

運転席から降りて、後部座席のドアを開ける為にポジションを移動。

「おはようございます」

形式として、挨拶をする。

九条はいつも通り無言。澪が慌てて

「あ、おはようございます」と返事。

挨拶をされたら、返さずにいることが出来ない習慣なのだろう。

とくに変わったように見えるような部分はないが、明らかに”何かあった男女”の雰囲気があった。

何日もレジデンスに泊まっているから、何かあるのは自然なことだが、それによって九条の雰囲気まで変わってるのは意外だった。

本人はとくに何も変えてはいない。

いつも通りのつもりだ。

だが心の変化は隠し切れない。

俺は九条が10代の時から知ってる。

移動中の車内、2人は無言だった。

澪は少し居心地が悪そうに、隣の九条を気にしていた。

仕事モードの九条に戸惑っている。

2人でいる時はきっと、違うのだろう。

(もしかしたら、氷の支配者は、初めて恋をしたのかもな)

柄にもなく、そう思いながら車を走らせた。

【澪の部屋・導入】

車は、やがて澪の自宅アパートの前に到着した。

車を降りた澪は、鍵を取り出しかけたところで、思わず顔を歪める。

「……掃除してない」

ポツリと呟いたその声は、自分自身に向けた悲鳴に近かった。

「ちょ、ちょっと待って!……掃除するから……10分、いや、5分だけ待って!!」

「わかった」

すぐに返ってきた九条の声は、あっさりしていた。

むしろ、どこか楽しんでいるようにすら聞こえた。

澪は慌ててインターホンを解除し、バタバタとエレベーターホールへ消えていく。

その姿を見送った九条は、車内に戻りながら、口元を小さく緩めた。

隣でハンドルに手を添えていた氷川が、ちらりと視線を投げる。

「……今の、想定内ですか?」

「ああ」

「楽しそうに見えましたが」

「……そうか?」

「ええ、珍しく」

それには答えず、九条は静かに目を閉じた。

車内には再び沈黙が戻る。

だが、そこにはもう、張り詰めたものはなかった。

 

――そして5分後。

息を切らせながら澪が車に戻ってきた。

「片付いた!……たぶん大丈夫!」

「“たぶん”でいいのか?」

「これ以上待たせるのも悪いから、自己責任でどうぞ!!」

九条は小さく笑いながら、車を降りた。

九条の家と違い、ごく普通の一般的な、豪奢ではないエレベーターで上階に上がりながら、

「変装とかしなくていいの?日曜日だから、誰かに会うかも」

「問題ない。不用意な事をすれば、かえって目立つ」

「そのままでも十分目立つと思いますが…」

「そうか?」

幸い、廊下でも誰にも出会わないまま澪の部屋まで辿り着いた。

タッチ式でも何でもない、鍵穴に鍵を差し込むドアを開けて、「ドウゾ…」とロボットのように澪が中へ誘導した。

その先に、九条がまだ見たことのない“彼女の暮らし”があった。

🏠 澪の部屋の全体イメージ

全体的に白基調のミニマリスト空間

• フローリング

• スリッパや小物にだけ差し色(淡いブルーやラベンダーなど)

• 清潔でやさしい雰囲気だが、どこか実用重視

• コンパクトな1K〜1LDK想定(レジデンスの1部屋分程度)

🛋️ 家具・インテリア系

家具類: 無印良品(ベッド、ラック、ソファ等)

テレビ: チューナーレスの50インチ

 └ テレビ台は置かず、スタンドで自立設置(空間を圧迫しないため)

カーテンやファブリック: 白〜グレージュ系で統一

💻 PC・作業環境

デスク: cofo(PTAデスク/実用本位で選んだシンプルな高性能モデル)明るい木目調の天板、足は白。

チェア: エルゴヒューマン Pro2(ガチのエルゴノミクス椅子)グレーカラー

iMac(24インチ): シルバー/メモリ24GB/ストレージ1TB/トラックパッド付き(もともと持っていた)

MacBook Air: スターライト/M4・最高スペック(ヨットインセンティブで買い替えた)

Dell 27インチモニター: エルゴトロンのアーム(白)で浮かせてる。

マウス: ロジクール G502 Xワイヤレス(白)

 └ コマンド系はマウスで操作完結。トラックパッドはアプリ切替や拡大縮小専用。コピー・ペースト・タブ閉・画面進む戻るなど右手だけで完結するように登録してる。

コード類: 箱に収納してゴチャゴチャしないよう整理済み

澪の部屋に入った瞬間、九条は無言で周囲を見渡していた。

白を基調にした、清潔で優しい空間。

だが、優しいのは“色”だけだった。

「……なるほど」

視線は自然にPTA周りへと吸い寄せられる。

iMac、MacBook Air、それにDellのモニター。アームで浮かせてある。しかも縦向き。用途に応じて回転させているのだろう。

(どうりで、資料の切り替えが速いわけだ)

彼女のPC操作の速さは、2年前から知っていた。

ヨット購入のために何度もやりとりをしていた時――メールの返信は、時間が合えば1分以内に返ってきたこともある。

当時はただ「仕事が早い」と思っていたが、その裏にこれだけの“装備”があるとは想像していなかった。

椅子はエルゴヒューマンPro2。カメラ越しにグレーのヘッドレストが見えたのを覚えている。

それ以外の背景は映っていなかった。

コード類は箱にまとめられ、ケーブルは見えない。無印の家具に同化していた。

表に出ているのは、澪が“必要”だと判断したガジェットだけ。

「お前はエンジニアだったのか」

「いえ、しがないヨット販売員です」

だが――  

その生活は、徹底されていた。

澪の部屋を歩くたび、床が無音で答えるのが印象的だった。

フローリングの上には、絨毯もカーペットも敷かれていない。

マットひとつない。

(……徹底してる)

柔らかさや装飾よりも、掃除のしやすさと清潔さを優先した空間。

必要な物しか置かれておらず、ホコリの溜まりそうなものは見当たらない。

その几帳面さは、潔癖というよりも――

“集中力の妨げを排除したい”という意志に見えた。

(散らかれば、思考が削がれるタイプか)

ただの“片付け好き”じゃない。

むしろ、片付けが苦手だからこそ、物を置かないことで空間を保っている――そんなふうにも思えた。

(お前は、俺にないものを持っている)

それは感情でも優しさでもない。

――習慣。選択。生き方。

澪の暮らしそのものが、“能動的な選択”で成り立っているのだと、初めて肌で感じた気がした。

澪は、少し頬を赤らめながら、マウスの横に置いてある手元を隠すように言った。

「PC周り、見られると……なんか、女っぽくないって言われるから恥ずかしいの。あんまり人に見せないことにしてる」

実際には――

昔、元カレが勝手にこのPCでゲームを始め、それだけでも不快だったのにマウスとキーボードを指紋まみれにして帰っていったことがある。

ブチギレた。

それ以降、自分のデスク周りは“誰にも触らせない”し、家に”他人を決して入れない”と決めていた。

九条を家に入れたのは、「この人はそんな事しない」と感じたからだ。

でも、それは言わなかった。

九条は何も言わず、ただ一瞬だけ澪の指先を見て、また目線を逸らした。

その沈黙に、澪は少しだけ安心した。

――あ、これ以上は聞かれないんだ。

でも、たぶん察されてる。

そう思うと、もっと恥ずかしくなった。

澪が「PCスリープにしたままだから、電源落としとこ」と言ってMacBookを開いた。

ぱっと画面がつく。

そこに映ったのは――

何も置かれていない、真っさらなデスクトップ。

壁紙も、フォルダも、アイコンすらもない。

まるで、必要最低限の整然とした部屋のように。

九条は一瞬だけ、それを見つめた。

彼女の性格を表すような、無駄のない画面。

だけど、その裏に何があるのかは、まだ分からない。

(――見せているのは表層だけだ)

それは、九条もなんとなく感じ取っていた。

バスルームの近く。

……天井付近のブレーカーに手を伸ばしかけたところで、ふと呟く。

「冷蔵庫は電源切らない方がいいから、照明まわりだけ切ろう……」

そのまま動線を逸れてキッチンへ。

「あ、冷蔵庫にプリン入ってるかも!」

思い出したように扉を開ける。

中を覗き込みながら、真剣な表情。

「………あった。ギリ賞味期限セーフ……!」

手に取った容器を見つめながら、

「これ持って行ってもいいかな……あ、でも常温になっちゃうか。あの車、あったかいし……」

後ろから聞こえた低い声が、ためらいを断ち切る。

「……今食べるか?」

「えっ、でも氷川さん待ってるし……」

「急いで食べろ」

「じゃあ、ちょっと手伝って!」

そう言って、プリンとスプーンを取り出すと、澪は九条をリビングのソファへと半ば強引に誘導した。

 

白いスプーン1本で、2人で1つのプリンをシェアする。

日曜の午前、やや傾いた光の中で、

唐突な、でも穏やかな“間”が生まれた。

九条が一口食べるたびに、澪が次の一口を用意する。

「……急げって言ったのに、のんびりしてないか?」

「急いでるよ。大きいプリンだから、なかなかなくならないの」

「……それはお前が食いしん坊…」

「はい!それ以上言わないで」

答えが返ってくるたびに、九条の目元が微かに緩む。

この瞬間のために、全部必要だったのだとさえ思えてくる。

ほんの5分の、プリンの時間。

それだけのことなのに、

九条は――

(……ここにいる、という事実が、不思議に思える)

そんな感覚を味わっていた。

食べ終わったスプーンを軽く洗い流しながら、澪がふと思い出したように口を開いた。

「そうだ、MacBook持っていこう。リモートワーク入るだろうし……」

慣れた手つきでスターライトのMacBookを取り出し、ナイロン生地のスリムなバッグにすっと収める。

その横に、白いG502マウスも忘れずに。

「マウスいるか?」

「いる。ないと、仕事にならない」

澪が力強く答える。このマウスは時短の友だ。

光るゲーミングマウスは、普段、他人に見せないように、外には持って行かない。

でも――

今日だけは、なんとなく「見せていい」気がした。

それはたぶん、“そういう相手”だから。

バッグにMacBookとマウスを収め、ファスナーを閉じたあと――

澪は本屋で購入した絵本を本棚にしまった。

レジデンスに置いていても仕方ないので、こっちに持ち帰ったのだ。

しまう時に一瞬、表紙が見える。

黒い尻尾。

そして、白い一枚の羽根。

澪の背後にいた九条の目線が本棚に流れ、絵本の表紙を一瞥する。

黒い――豹のような動物。その傍らに、白い鳥の羽根が舞っていた。

(妙な組み合わせだな)と思いかけて、すぐに思考を打ち切る。

一枚の絵から、何かを想像しようとしたが、

物語の筋はまるで見えなかった。

九条は、それ以上興味を持たず、視線を逸らす。

ただの絵本。

そう思えば、それまでのことだった。

だがその一瞬――

澪の指先が、本棚に触れていた。

玄関に向かいながら、九条が澪に尋ねた。その声にとくに感情はない。

「AirPods持ってないのか?」

「うん。イヤホンに3万越えは清水の大舞台から飛び降りる気分」

「思い切って飛び降りろ」

「ひど」

「その先に快適な未来が待ってる」

「えー?じゃあ、ちょっと考える。行こ。氷川さん待ってるよ」

「1時間待たせたことある」

「ひっど!!横暴上司じゃん」

そう言いながら靴を履いている澪に見せないように、九条はApple Storeのアプリを開いて、自分のアカウントからカートに商品を入れていた。

《澪目線》

車は再びレジデンスに向かって出発した。

途中、ブレーキを踏む時に一回もガクンってならない。車が高性能なのもあるけど、氷川さんの運転技術だろうな。

後部座席の隣に座っていた雅臣さんは、車内にいる間はすごく静かだ。

スタッフの人と一緒にいる時はモードが《Business》になっているのだろう。

だから、とくに口は出さない。

誰だってそういう”モードの切り替え”はある。

彼はそれが極端に切り替わるだけだ。

でも、省エネモードの時でも口数が増えたことが嬉しい。

(戻ったら、何しようかな)

何でもいい。一緒にいられるだけで嬉しいなんて思ったのは、初めてだ。

雅臣さんに対して「急に少年みたいになる」って思ったことあるけど、人のことは言えない。

中学生みたいだな、と自分でも恥ずかしくなる。

でも、自分で止められない。

そのうちに慣れて落ち着くのかもしれない。それはそれで寂しい。

今のこの楽しさが続いてほしいと思うけど、人は慣れる生き物だから、どこかで感じなくなる時が来る。

だから、今を存分に味わっておく。

地下駐車場に到着して、降りる時、雅臣さんが先に降りて、荷物を持ってくれた。

手に持っていたMacBook Airが入ったケースは、軽量とは言え、そこそこの重さがあるから。

「ありがとう」

初日にここに来た時は、玄関ホールまで出迎えにも来てくれなかったことを思えば、すごい進歩だ。

もともとそういう事をする考えはあっても、する相手をかなり厳選する人なんだろう。

「日曜日にありがとうございました」

運転席の氷川さんにもお礼を言った。

「…いえ」

曜日の感覚もなく働いているのか、今日が休日という自覚もないのだろう。

たぶん、送迎に対してお礼を言われたこともない。

それはそれで彼らの金銭が絡んだ契約。

ただ、私はその枠の中に入ってない。

おまけとして運んでもらっているだけ。

だからお礼を言っただけ。

《氷川目線》

後部座席のドアが閉まってから、一瞬だけルームミラーに視線を送った。

あの女――綾瀬澪は、言葉遣いも丁寧で、礼儀もある。

だが、どこかで“こちら”の世界に対する耐性を感じる。

一般人でありながら、異物として拒否しない。

むしろ、あの九条雅臣と長くやり取りをしていたというのなら、それなりの覚悟はあるのだろう。

(…似てる)

ふと、そんな言葉が頭をよぎった。

似ている。自分と。

何を優先すべきかを知り、必要以上に踏み込まない冷静さを持っている。

けれど、あの目にはまだ「好奇心」がある。

そこが、九条とも、自分とも、少し違う。

(……まあ、どうでもいい)

そんなことを考えていた自分に気づいて、鼻を鳴らした。

仕事は、仕事だ。

《澪目線》

地下駐車場のエレベーター、雅臣さんがカードキーをかざしたら、エレベーターのドアが閉まって上へ上がっていく。

周囲の音が遮断された空間の中で、少しだけ息を吸い直した。

「氷川さんといるとき、雅臣さんおとなしいね?仕事モードって感じ」

「仕事だからな」

「スタッフの人といる時はいつもあんな感じ?」

「そうだな」

「スタッフの人達って何人くらいいるの?仲良い?」

「俺が全員を把握してるわけじゃない。メインのチームメンバーは、マネージャー、コーチ、トレーナー、フィジオ、栄養士、スポーツドクター。あとはIT担当と、弁護士がいる。仕事でいるだけだ。仲が良いかどうかは関係ない」

そう言われるとそうなのだけど、ちょっと寂しいと思ってしまうのは何故なんだろう。

自分だって、職場で仲良い人がいるか?と問われると即答できないのに。

自分よりも、彼の周りに”支えてくれる人”がいてほしいと願う気持ちがあった。

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URB製作室

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